しおの雑記帳

暇で、僕に興味がある人以外は見ないほうがいいです。黒歴史を生産します。自己満です。

先祖探しをしてみた(1)

Ⅰはじめに

なんかせっかくブログ作ったのに小難しいことばっか書いてもつまんねぇな、ってことでも少しそれらしいものを書きたくなりました。てことで今回は昨年から今年の1月上旬にかけて家族で行った、先祖探しについてつづります。個人的には探偵でもやっているような気分で、しかも自分のルーツについて知ることができて興味深い体験ができたので、興味があれば、みなさんもぜひ。

※役所の業務に関わる記述については誤りが含まれていたり、各市区町村によって対応が異なっていたり可能性があります。また、個人的な興味のために調査する場合、手を尽くしてくださる方々には最大限の感謝を忘れずに。

Ⅱ事前調査

さて、僕の苗字はそこそこ珍しく、それでいて有名な歴史人物と同じであるから、人に覚えてもらいやすい。高校1年の冬にあった生徒会選挙の演説では、その歴史人物ネタを冒頭にぶっこんで、一笑いかっさらわせていただいた(要出典)。実際のところ、我が家はそいつの子孫ではないらしいことは分かっていたのだが、それ以上のことはあまりはっきりしていなかった。昨年夏のある日、父がそれを調べてみようと言い出したのが、今回の旅行の発端である。といっても、今回分かったことのうちの大半は、この事前段階で明らかになったことである。この理由については、のちに判明する。

あなたがもし、自分の先祖について知りたいと思ったならば、まずすべきは、ご自身の居住する市区町村役場の戸籍を扱う部署を訪れ、『戸籍全部事項証明書』を申請することである。この書類には、自分が属する戸籍に記録されている全員の生年月日や続柄、本籍地などが記されており、手数料はたしか数百円だったと記憶している。戸籍は、戸主(多くの場合は一家の父親または長男)の元にその構成員が列挙する形で表記されている。この記録は、明治期に戸籍法が施行されて以降取られており、原則として自身の直系(親子関係をたどるとつながる人)が戸主になっている戸籍であれば取得可能である。つまり、自分が住んでいる市区町村の役場で、「『戸籍全部事項証明書』を私が取れる範囲で全てください。」といえば、数百円程度でその役場が持っている限りのあなたの先祖の戸籍に関する情報を出してくれる。

僕の父親がこの手続きを、住んでいる川崎市の某区役所で行ったところ、僕の曽祖父が戸主になっている戸籍まで取ることができた。曽祖父はその昔、区内で小さな工場を営んでおり、父も当時住んでいた埼玉県から川崎に住む曽祖父のところを訪れた経験があるため、ここまでは分かっていたことなのだが、大切なのは、そこに記されている転居前の住所である。確認したところ、栃木県塩谷郡喜連川町~となっている。塩谷郡喜連川町は、現在同県さくら市(≠千葉県佐倉市)の一部であることから、これより前の戸籍をたどるためには、さくら市で同様の手続きをとればよいわけだ。(ただし、自分がその戸主と直系血族であることを証明するため、最初に取得した書類をすべて見せる必要がある。)とはいえ、栃木県ともなると、気軽に訪れることはむつかしい。役所の開いている平日には仕事のある父ならなおさらだ。そこでさくら市のHPを確認してみると、同様の手続きを郵便で行うことも可能らしい。電話で詳細を問い合わせたのち、最初に取得した書類とネット上に公開されている申請書、身分証のコピー、手数料を同封してさくら市役所に郵送すると、数日で分厚い書類が返送されてきた(このあたりの手続きについては、各市区町村で異なる可能性があるため、要確認。)。田舎であることもあってか、電話で問い合わせたときの対応も親身で、返送は迅速だった。興味本位で行っていることにすぎないので、感謝である。
返送されてきた書類に書いてある情報は膨大なものだった。というのも、僕から見て5代前、文平というひとの戸籍まで取得することができたのである。文平は天保2年(1831年)生まれの明治31年(1898年)没。特筆すべきは、彼が婿養子であった点であり、隣の烏山町(現、那須烏山市)からやってきたとある。ちなみに、彼の妻キセの父の名は文六といい、今回僕との血縁が確認できた最も古い人物であった。おそらく、18世紀末から19世紀初頭の生まれであると思われる。情報量が非常に多いため、ここまでに取得した情報から一部を抜粋した図を描いた。(拙い字でごめんなさい!)

 

f:id:shiohito816:20220303225226j:plain

さて、実のところ、栃木県の喜連川という地名は、我が家にとってまったく馴染みのない地名ではなかった。というのも、僕の祖父(すでに他界、昭和10年生)が、戦時に喜連川疎開していた記憶を父親が伝え聞いたことがあったのである。おそらく、親戚筋を頼りにして当地を訪れたのだろう。となれば、当時のことを知る人がまだ生きているかもしれない。かくして、我が家の栃木行きが決まったのであった。

(つづく)