しおの雑記帳

暇で、僕に興味がある人以外は見ないほうがいいです。黒歴史を生産します。自己満です。

成長とは?

※今回もメタ認知が暴走してます。

 

寒い。とにかく寒い毎日である。そして、気づけば国公立前期試験から早一年が経った。大学に入ってから本当に色々な場所を訪れ、色々な人と出会い、色々なことをした。その中には、必ずしも望ましいとはいえない結果に終わったものも少なくない。それらに関して僕は最近、この1年間は、自分の人間的成長に大きく寄与したと信じ(ることにし)ているし、周囲にもそう話す。敢えてそれをここに書き記しているのは、当然、単に「成長した」以上の含みがそこにあるからだ。

 

人は本能的に、自分の身、立場、評判等々を守るための行動をとる。人はつまずいたら受け身を取るし、イイ大学に入りたいし、運転が上手いと人に思われたい。僕が「成長した」と言うのも、それらと同種のものなんだと思う。事実、成長という単語は耳触りがいい。誰が聞こうとそのポジティブな語感が揺らぐことはないし、人が成長したといえばそれを讃えるのがセオリーである。讃えられるのは、心地よい。だからこそ、さまざまな、貴重な1年間の経験を簡単に一括りにして、自分の成長の糧となったのだと人前でしみじみ語ることを躊躇わない。もはや役者のように。そうして、成長した分だけ周囲よりも上位にいるかのように自身を錯覚させ、それに浸ることで、この一年で失ったもの、悲しい思い出その他諸々を都合よく忘れようとするのだ。臭いものに蓋という言葉がよく似合う。

 

これは一見すると、一つの立派な解決策ではある。周囲にマウントが取れて自己肯定感が上がりそうだし、そもそもそれが本能的なものならば、避けようがないではないか。うん、それはそうなんだけど。

ここのところ、それでいいのかという思いが付きまとう。失敗体験だとか、自分に落ち度がないにしても、よくない結果に終わってしまった経験をどう咀嚼するか。まだまだ思考(試行)の余地はありそうだ。