しおの雑記帳

暇で、僕に興味がある人以外は見ないほうがいいです。黒歴史を生産します。自己満です。

「俯瞰でみる」ということ

8月は早くも下旬を迎えようとしている。前回、僕が旅行に関するイキった記事を書いてから、はや2ヶ月が経過しているとは…。しかし、さらに衝撃的なのは、その文章の結びで、ワクチンの普及によって夏休みにはある程度旅行が自由にできるようになっているのではと予想していたことだ。実際のところ、日本国内のコロナの感染者数は日に日に増加しており、僕自身もそのために大変な影響を受けているところである。僕はいたって健康なのだが、しばらくは家に閉じこもっていなければならないので、まったく暇で、そして孤独である。そういった時(深夜などもしかり)、得てして考えても仕方のないような、ネガティブなことをいろいろと考えてしまう。考えたことをまとめでもしないと、大学1年の貴重な夏休みを無駄にしてしまうような気になるので、久々にキーボードを叩いている。

 


僕は、自分自身を「俯瞰でみる」ということに、ほんの少しだけ人より長けているのではないかと思う。俯瞰でみるという言葉を定義するのも難しいが、「俯瞰」という言葉の意味通り、tpsのゲームよろしく自分を上空から見下ろしているイメージだ。「客観視する」という言葉で言い換えることもできそうなものだが、今回はあえてそれらを区別したい。これは、自分のことを「客観視する」といったとき、観察の対象はあくまで自分自身のみであるが、「俯瞰でみる」といったときには、自分の周辺の事象も同時に観察しているニュアンスが入るように(個人的には)思えるためだ。

俯瞰でみるのが得意だというのは、優れたことに感じられるかもしれないが、それではこの記事がただ自慢に終始するだけの文章になってしまう。僕は自慢をただひたすら書き連ねた記事を世に出せるような性格ではないし、実際のところ、この件では悩ましい思いをしているというのが正直なところだ。さて、前述の定義のとおり、僕が俯瞰で自分を見た時、他者についても同時に観察している。ここで悩ましいのは、他者と自分を比較することを避けては通れないことだ。隣家との間にどんなに高い垣根があろうとも、それらを俯瞰で見ると、隣の青々とした芝生が嫌でも視界に入ってしまう。それを無視することができるのはある種の才能だろう。あいにく、僕はそんな才能までは身につけていなかったようだ。結局、自他の比較の中で自分が劣っている点にばかり目がいってしまう。これが、このブログを初めて書いたときにテーマとして扱った、自己嫌悪の原因の一つなのだと思う。以上の気づきが今日の本題で、それ以上でもそれ以下でもないのだが、僕とて好きで自己嫌悪をやっているわけではないし、自己嫌悪ばかりの女々しい男を魅力的だとは思えない、というか嫌いだ(これも俯瞰することで生まれる自己嫌悪そのものなのかもしれない)。なので、それを辞められるのならそれに越したことはないが、今のところ、具体的な対処法にはたどり着いていない。自転車に乗るなど、頓服薬のように一時的にストレスを解消することはできるのだが、日常的な自分の思考パターンを変更するのは容易なことではないのかもしれない。これについては、僕としても考え続けることになるだろうし、もしアドバイスがあれば是非頂きたいと思うところである。