しおの雑記帳

暇で、僕に興味がある人以外は見ないほうがいいです。黒歴史を生産します。自己満です。

「純粋旅行者」を目指して

今、僕が受けている授業の中に「人文学入門(歴史)」というのがある。この授業は人文系の教員数名が交代で授業をする、いわゆるオムニパス形式の講義なのだが、これがなかなか面白い。今年のテーマは「旅」だそうで、人文学(というと、かなり裾野は広いが)の様々なトピックに旅を絡めて紹介していく、という形式だ。文学、音楽、建築....。様々な分野において、旅は密接に関わってくる。この前の授業では、文士の堀田善衛が取り上げられた。堀田善衛というと、宮崎駿が敬愛していることで知られるが、彼の人生はまさに「旅」そのものだろう。興味のある方は、ご自身で彼の略歴をお調べになってほしい。さて、授業内で提示された彼のエッセイには、以下のような記述があった。少し長いが、引用する。

 

 

もう数十年も前のことであるが、ある作家といっしょに、ある外国を旅行して歩いたことがあった。ホテルで、その友人の作家と話をしているうちに、彼が目を伏せて、ぼそりといった。

「こうして毎日旅行をしてあるくと、一生懸命働いている人がバカみたいに見えるね」

と。

(中略)

 言うまでもなく、旅行者といってもそれは千差万別であって、行き先に、たとえば商用などというビジネスの仕事のある人などは、本来的に旅行者であるかどうかと問われなければならぬようなものであろう。そういう人は、行き先での定住者と責任のある応対、接衝(原文ママ)などをしなければならないのであってみれば、決してその対応者が、“バカみたいに”見えたりする筈はない。

 しかも、虚構のなかを浮遊して行くかのような、いわば純粋旅行者というものがもしあるとすれば、彼は旅先で何を見、何を観察するか。旅先で接する人々が、もし同じ人類の一員というほどの関係としてしか関係して来ないとすれば、必然的に彼の見る、あるいは観察するものは、それを見聞するおのれ自身の反応というものになるであろう。
世界・世の中・世間/堀田善衛

 

 

 さて、この文章に触れたのが、今回ひと月もさぼっていた記事の更新をしようと思ったきっかけなのだが、本文に出てくる「純粋旅行者」、すなわち、旅先の定住者との応対に責任を問われない形の旅行者というのは、まさに僕の理想の形であった。旅先において、純粋旅行者たる自分に対して責任を問うてくる存在というのは、少なくとも現地の規範にしたがっている限り存在しない。よく何かの設定で出てくる「毎朝、いつも通勤、通学に使う電車を反対方向に乗って、見知らぬ土地にいってしまいたい」といった考え方はこれに近いものがあるのかもしれない。日々、自身が会社や学校で負っている責任から解放されたいのだ。もう一つ。引用文によれば純粋旅行者には、彼(彼女)の観察対象が、旅先の様子を見聞するおのれ自身である、という特徴があった。実は僕はこの要素の方が大切なのではないかと感じている。それを踏まえて少し自分語りをしたい。

2020年12月31日。国立大学を志す受験生だった僕からすれば、一つ目の関門である共通テストの約2週間前、というタイミングだった。本来、受験生に大晦日も正月もあったものではないのだが、僕は前日の冬期講習終わりに新宿の大ガード下にある金券ショップで手に入れた切符を手に、北に向かっていた。今思えば、許しがたい暴挙である。当然、親には行先など報告していない。一応、電車内では倫理の本を読んで、脱構築だとか、実存主義だとか、むずかしいことを復習していた気はする。この時、とにかく僕は無性に雪が見たかった。これは間違いなく、他に似たようなことをしていた悪友(?)の影響で、深い考えがあってのことではない。しかし結局、僕は一路新潟に向かうのだった。いろいろ寄り道もしたのだが、一番行きたかったのは越後湯沢だ。ここはスキーのリゾートとして有名で、普段ならにぎわっているはずの場所だが、今回の目的は温泉だった。

 現地は雪が舞っていた。バカなことこの上ないのだが、豪雪地帯に行くにも関わらず雪用の靴なんてものは履いていなかったので、雪が2mは積もっていようかという中をやっとのことで温泉にたどり着くまでには、一苦労だった。びしょ濡れになりながら、とある公営の温泉にはいると、中には老人が数名。そのうちの一人に話しかけられ、どこから来ただの、いま何歳だのといろいろ聞かれる。自分が都心からやって来た受験生だと明かせば、ご時世のこともあって何をやっているんだといわれそうな気がしたので、北関東の某所からふらっとやって来た大学生ということで通しておいた。話を聞いていると、老人は湯沢の町の町内会長をしているらしい。若いころ、大晦日の日に大雪で汽車が動かなくなって、東京からの帰省に苦労した話を長々と聞かされた。もっとも、こういう話を聞くのは元々嫌いじゃない。ひとしきりその話を聞き終えたあたりで、お湯の熱さに耐えられなくなってきた。いくら雪の中を歩き、その雪を見ながら浸かっていても、熱いものは熱い。老人たちはなぜこんなにお湯の熱さに強いのだろう、などと思いつつ、挨拶をして外に出た。せっかく温まったので、帰りは駅まで冷えないようにタクシーで帰ることに。電話で聞きなじみのない会社のタクシーを呼んでから、到着するまでの間はぼんやりとたそがれていたと思う。タクシーの運転手とは、コロナ禍で客足はどうだとか、雪国のタクシーは初めてだとか、他愛もない話をしていただろうか。駅につくと、名物の笹団子と高崎から最寄り駅まで普段なら絶対に乗らないグリーン車で帰り、何食わぬ顔で年越し蕎麦を啜ったのであった。

 さて、受験生時代のこのような旅行経験をわざわざ披露したのは、この旅行内での自分に「純粋旅行者性」のようなものを感じているからだ。まず、この日の僕は、驚くほどコミュニケーションに責任をもっていなかった。温泉で身の上を偽るなどしているのがその例だ。そして、この日の僕の観察対象は、主として僕自身であった。むろん僕とて、一面に広がる銀世界だとか、公営浴場に集まる地元住民だとか、あるいは笹団子片手に乗り込む高崎線の列車といった風景に趣を感じないほど、寂しい人間ではないと自覚している。しかし、あの時僕は、はっきりいって疲れていた。極端に言えば、高校生のガキなりの逃避行だったのかもしれない。だからこそ、「新潟にいる自分」という非日常の風景には注意が向いていた。もっと言えば、「受験生なのに新潟に向かう自分」、「公営浴場で地元民と会話する自分」、「雪国のタクシーで運転手と話す自分」、「笹団子片手にグリーン車に乗る自分」....というような、ありとあらゆる「自分」に「浸っていた」のかもしれない。いつかこのブログであれほど自己肯定感の低さについて書いておいてなんだが、この時に関しては「浸っていた」という表現がやはり適当なように思える。一応、雪国でせっせと働くタクシー運転手を、引用文中の作家よろしく「バカみたい」だなどとは思っていなかったことだけ断っておくが、とにかく僕は、受験のプレッシャーという、他者から押し付けられているふうに見える責任を、その時ばかりは忘れ去っていたのだ。

 皆さんも日々抱えるストレスはとても大きい事だろう。まして、この緊急事態宣言下では自由に旅行するのも憚られる。だがどうだろう、ワクチンの接種は進み、今週末には宣言も解除されると聞いた。「純粋旅行者」になって自分勝手な旅をしてみるのも、夏の時間を有意義に過ごすにはよいのではないだろうか。僕も、そんな旅をたくさん経験したい。