しおの雑記帳

暇で、僕に興味がある人以外は見ないほうがいいです。黒歴史を生産します。自己満です。

NOZOMI64 ~Reversed Cinderella Exp.~

ため息ついてドアが閉まる

何も云わなくていい 力を下さい

距離に負けぬよう

シンデレラ・エクスプレス』(松任谷由実 

シンデレラ 今 魔法が

消えるように列車出てくけど

ガラスの靴 片方 彼が持っているの

シンデレラ・エクスプレス』(松任谷由実 

 

 JR東海は87年に「シンデレラ・エクスプレス」と題したテレビCMを放映した。これは国鉄解体後、JR東海としての初の広告だった。松任谷由実が書き下ろした同名の曲をバックに、幻想的な光に包まれる新幹線のホームで、彼を見送る女性の姿が描かれる。最終列車の発車時刻を、童話シンデレラの12時の鐘に見立てたわけだ。「離れ離れに暮らす恋人たちが週末を東京で過ごし、また、離れ離れに。日曜新大阪行、最後のひかり。シンデレラ・エクスプレスと呼ばれています。こんな素敵な話を大切にします。JR東海の、新幹線。」と、ナレーション。CMに登場したひかり315号は、次第に有名になり、メディアにもよく取り上げられたそうだが、92年には新たに登場したのぞみ303号に取って代わられた。

 

 さて、ひかり315号は、古き良き思い出として人々の心に残るのみだが、当然令和になっても同じような列車は存在する。今回取り上げたいのは、のぞみ64号。最終の東京行きで、いわば「逆シンデレラ・エクスプレス」だ。のぞみ64号は最終列車であると同時に、博多-東京間を4時間46分で結ぶ、日本最速の列車としても知られている。新横浜、品川、東京などの駅には一般的なのぞみより10分ほど早く到着する。西への出張に訪れたビジネスパーソン、週末を観光地で目いっぱい楽しんだ旅行者。この列車には様々な乗客が詰め込まれている。ある者は仕事の疲れを癒すビールで喉を潤し、ある者は旅の思い出を胸に夢の世界へ。多くの者はそうして最速の新幹線で家路を急ぐが、複雑な思いを抱く者もいる。遠距離恋愛で久々に恋人の元へ訪れた若者は日本最速の超特急で日常へと引き戻されていくのだ。

 僕は、GW最終日にこの列車に乗った。ビジネスパーソンの姿はなく、行楽客もまばらだ。緊急事態宣言下の新幹線は、悲しいほどに閑散としていた。自分の席はA席、いつもなら海の見える窓側の席だが、この暗さと雨では景色の期待はできないだろう。京都、名古屋と停車する度に安全柵から離れるようにと駅員のアナウンスが響く。それを聞くだけで、ホーム上で繰り広げられているのであろう光景が目に浮かんだ。今までこのアナウンスを聞くと、列車の安全、定時運行を阻害する、成らず者がおるわいと、フラストレーションを溜めていたのだが、この日ばかりは自分がつい先ほど自ら経験した別れと重なって、ついつい感傷的になってしまう。列車は憎たらしいほどの速さで、夜雨の三河地方をさらに東へ駆けていく。湧き上がる感情を抑えたくて、ダークチョコレートを口に含んだ。期待していたのは耐えきれないくらいの苦みだったが、その実、感じられたのは甘さだった。ダークを標榜しているのに、理不尽なことだ。f:id:shiohito816:20210509225056j:plain

 豊橋、浜松、掛川…。慣れ親しんだ地名が、お前はもうここまで離れてきたのだと言わんばかりに流れていく。さまざまな考えを巡らせているうちに、それまでトップスピードで駆け抜けていた列車は徐々に速度を落とし、左に大きくカーブする。熱海だ。普段なら右側の窓に温泉街と太平洋が広がるが、今日はただ、建物の明かりがぽつぽつと輝くのみ。熱海を過ぎればすぐに長いトンネルに入り、それを抜けた先は神奈川だ。ほどなくして、小田原を通過する。余談だが、僕の曽祖父は建築業界にいて、新幹線のこの工区を担当していたことがあるらしい。感謝せねば。そして、ここを過ぎれば目的地の新横浜は目と鼻の先だ。荷物をまとめるよう促す放送が入り、しばらくすると、「AMBITIOUS JAPAN」のおなじみのメロディーに続いて、案内がかかる。この放送の聞こえ方は毎回微妙に変化する気がする。小学校の転校、新生活前の家探し、家族旅行、大学受験…。ある時は僕の疲れを労い、またある時は新生活を明るく彩ってくれたのだが、今回は解釈に苦しんだ。とても無機質に聞こえた。こんなこと、考えていても仕方あるまい。僕は手際よく荷物をまとめ、座席のリクライニングをさっと戻して、列車を後にした。文章では時間感覚が分かりにくいことと思うが、実にあっという間の1時間49分であった。新横浜のホームの電光掲示板にはもう何も表示されていない。人々は足早に改札へ向かっていく。その波に乗るのがなんとなく嫌で、列車が出ていくのを見送ることにした。

ああ、乗り換えの横浜線は一本遅くなるかな。どうせ夜も遅いし、ゆっくり帰ろう。

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〈参考記事〉

https://www.sankei.com/premium/news/201210/prm2012100003-n1.html 

 

魅力のない自分という呪縛

初めに断っておきたいが、僕は相当に「めんどくさい」ヤツなので、僕などという平凡で、いくら噛んでも味がしてこない人間に興味があって、なおかつ自分の時間を無為に過ごすことにためらいのない人以外はこの文章を読まないことをおすすめする。また、この文章は日記の延長線上のようなものなので、日常生活で使っていたら明らかにキモチワルイ、クサイと感じるような言い回しも多々出てくることも記しておく。ここは一言でいうと、僕の「黒歴史工場」だ。

 

 

さて、このころ自分の魅力とはなんだろうかと、とりとめもなく考えてしまう。こういう自分のまとまりのない思考を文章におこし、あわよくばよそ様に見ていただくことで共有したいというのがこのブログの趣旨だ。ネガティブな考えも当然でてくるわけですが、最初のお断りを読んでなおも文章を読み進めているあなたならそれも当然受け入れられますよね?

僕は、一橋大学などという大層な大学に通い、高校時代は生徒会で務めを果たし、あるいは定期テストでいつもクラストップかその次くらいの位置にいるといった具合に、「優等生」的キャラとして市民権を得ていたものと自負している。しかし、この頃そうした表面的で、無味乾燥な自分に嫌気がさして仕方がない。むろん、一橋に入ることができる生徒の数は非常に限られており、その枠の中に自分が入ることができたことは非常に光栄に思うし、「優等生」になりたくてもなれない人が世の中にごまんといることは承知している。だが、一方でそうした「優等生」キャラが集まったともいえる一橋の中では、自分の特徴などというのは特徴ですらないくらい希薄なものとなってしまう。高校生のとき、僕は、自分から「勉強」とか、「真面目」みたいな要素を取っ払ってみた。そこに残っていたのはどこまでも広がる荒野のような、「無」だった。自分は特に高身長でもなければ顔もよくない。料理も音楽も得意じゃないし、文化的素養も低い。男性としての魅力があるとも思えない上に、そういう経験もないに等しい。

自分の面白みのなさに気づいたとき、僕は自分のことを嫌いなのだと自覚した。生活力の低い自分が嫌いだし、経験の少ない自分が大嫌いだ。そして、そんな自分の嫌いな部分を人に見せまいとして、肩に力をいれて、必死に取り繕ったペルソナで自分を覆い隠そうとした。周囲からは褒められ、興味をもたれ、時には好意を寄せていただいた。だが、そうした感情の対象はあくまでもペルソナを被った自分であって、素の自分ではない。そんなことを考えているとますます自己嫌悪は深まる。ペルソナなしの自分をさらけ出せることができていたのは片手で数えられる程度の人数くらいなもんで、ペルソナに顔面を圧迫されて押しつぶされそうになったときなど、その方々、並びに医薬品には本当にお世話になった。そんなこともありつつ、結局根本的には何も解決しないまま、高校生活を終えた。高校生活が楽しくなかったといっているのではない。むしろ、京都での三年間は素晴らしい人との出会いの連続で、それは充実したものだった。だが、そうした中で魅力的な人に会えば会うほど、自分の薄っぺらさを自覚させられるのもまた、事実だった。

そんな僕が、こんな文章を書く気になって、しかもそれを人に見られる状態にしようと思ったのには理由がある。皮肉なことだが、それもまたある人との出会いだった。その人もまた、今までにあってきた人のように魅力的で多才だった。自分とは違って奥が深く、経験豊富で底知れない存在のようにみえた。しかし、その人はなんだか素の自分を無条件に受け入れてくれそうな気もした。僕は揺さぶられた。その人は、僕の内側にしまいこんであった自己嫌悪の感情を表に引きずり出した一方で、それを受け入れてくれようともした。僕は今でもそれをどう処理していいか分からずにいる。だが、一つ分かったというか、体感したことは、「魅力のない自分」を認識し、自己嫌悪に陥ったときにとることのできる選択肢は複数あるということだ。一つは僕がしていたようにペルソナで取り繕うこと。もう一つは、いったん素の自分をさらけ出してみること。案外、受け入れてもらえるものなのかもしれない。どうしたもんかな。

 

 

全く、突然こんな文章を書いて何をしているんだとお思いの方も多いことと思うが、前々からやってみたいとは思っていた自己満足なので、次回以降があれば、生暖かい目でご覧いただけたらと思う。

はじめに

僕は、何か大きなイベントがあったり、大きな心の動きがあったりすると、B5の大学ノートにそのことを書きつけることがあります。その中には、他人に共有したらなかなか面白いんじゃないかと思うこともあったりして、たまにそういう話をTwitterにつぶやいたりするわけですが、いかんせん文字数が少ないのと、Twitterに載せるにはいささか重たい内容を含むことが多々ある関係で、ブログを作ってみました。基本的に自己満足で、人に見せるにしても内輪のものなので、僕に興味があるか、死ぬほど暇な人以外は見ることをお勧めしません。また、結構自分の考えを赤裸々に書くつもりなので、それによって不快な思いをされても僕は責任をとれません。ご承知おきください。